2021/06/15

「蛇巫(だふ)」と民族学者・吉野裕子さん



※この記事は2004/10/09に「探求三昧ブログ」で初出のものに加筆訂正しました。

以前にあった楽天ブログの下記ブログへのゆき0505さんの記事へのトラックバックとして執筆しましたが、そのブログは既に無くなっています。

陀巫

ゆき0505さんとのやりとりで、吉野裕子さんの本を読み返したくなった。
ゆきさんが蛇巫(だふ)について知りたがっているけれど、はっきり言って「知らない方がいいんじゃないのかな」とも思う。
でも…書いてしまおう。

そもそも巫女とはどういう存在かというと、「神と交わる人」だ。

ここで、「交わる」の意味が問題となる。
遠まわしな表現でいえば「神と一つになる」となる。

それでもわからなければ「神と寝床を共にする人」だ。
だから、「神」が男神であれば巫女は女性であり、女神であれば逆になる。

そして人は「神の子孫」となる。
もちろんこのような話は、王室の正当性を主張するために作られる神話だ。

吉野裕子さん

吉野裕子さんは、ユニークな民俗学者だ。
学者になる前の経歴が変わっている。
学習院女子部で教鞭をとった後、43歳のときに日本舞踊を始め、民俗学者になったのはその後の53歳のときだったという。

※吉野裕子さんは、2008年4月18日に故人となられました。


吉野さんの一連の蛇に関する本を読んで、すっかり虜になってしまった。
いってみれば「隠れファン」だろう。

吉野さんによると、古代の日本は蛇信仰のメッカだったという。
そして、吉野論の極めつけは、「日本人は蛇の落とし子である」というものだ。

日本人は古来より、蛇に対して畏敬の念をもつと同時に強烈な嫌悪の対象として見るという、アンビバレントな感情を抱いていた。

だから蛇に対する信仰は、多くの場合は隠された形で、隠喩として示されてきた。
そのため、その謎を解明するのは困難を極める。

蛇信仰

蛇信仰が縄文時代からあったことは、縄文土器に多く見られる蛇の形からもわかる。
だが、吉野説では、その「縄文」自体が蛇とかかわりがあるという。

吉野さんは非常に直観に長けている人だと思うが、ユングの類型でいうところの「直観タイプ」の人間の欠点として、時としてその直観に「行き過ぎ」があると思う。

その結果として、「この人は何でも蛇に結び付けたがるのではないか」という印象を抱かせる。
だから、読者はその記述が正しいものかどうかを自分で吟味する必要がある。


さて問題の蛇巫の話だ。吉野裕子著の『蛇−日本の蛇信仰』では、「蛇巫の存在」として1章を当てている。

そこで吉野氏は、『常陸風土記』のヌカヒメ伝承と大和の「箸墓伝説」、つまり大物主神とヤマトトトヒモモソヒメ命の神話を比較して、この二つに見られる共通点を以下のように挙げている。

・蛇巫が夜ごと、神蛇と交わること。
・幼蛇を生むこと。
・幼蛇を小さい容器の中で飼うこと。

先に、巫女とは神と交わる者だと書いたが、それに習えば、蛇巫とは「蛇と交わる者」ということになる。
容易に認めがたいことだが、少なくとも吉野説にでは、そうなる。

蛇との交合

吉野は他にもいくつかの例証をあげ、以下のように結論づける。


日本古代蛇信仰では、神蛇とはまず人間の巫女と交わることをその第一義としたから、「祭り」とは要するに巫女による蛇との交合であったとさえ思われる。 
(『蛇−日本の蛇信仰』(吉野裕子著、講談社-学術文庫、1999年)より)


ミシャグチ神

また、この章では、太古の諏訪大社の主祭神であったと思われるミシャグチ神についても多くのページを使っている。
そして、諏訪大社の代々の最高神官であった大祝(おおはふり)は、ミシャグジ神の蛇巫だったとしている。

諏訪大社では、たしかに蛇あるいは龍神とのかかわりが密のようだ。
そのことは、現在の諏訪大社の主祭神である諏訪大明神つまり建御名方神においても受け継がれているように思われる。


吉野さんによると、注連縄、鏡餅、案山子もすべて蛇の象徴であるといい、この本では日本における蛇信仰を大胆に検証している。

宮古島

ところで、ゆきさんが蛇に縁があるのだったら、沖縄(本島)ではなくて宮古島へ行くべきだったかもしれない。
あの島の重要な聖地のひとつである漲水御嶽には、三輪山伝承によく似た伝説があるからだ。
三輪山伝承とまったく関係ないとは思えないが、たんなるパクリだとも思えない。

宮古島は誰もが知っているように「神の島」だ。
まあ本当に縁があるなら、いつかたどり着くかもしれないが。


【参考文献】

「蛇−日本の蛇信仰」(吉野裕子著、講談社-学術文庫、1999年)


【参考サイト】

ヘビ - Wikipedia